目的

埼玉県では、おもに江戸中期以降に多くの石橋供養塔が建立されました.石橋供養塔には通行人の安全祈願や退役した橋の供養など様々な意味が込められているほか、建立にあたって寄付した人名や助力した村名などが刻まれています.

しかし、これらは建立されてから250年以上経過しているため、その間の土地開発によってもとの場所から移動している例が多く、ほとんどの石橋は既に取り壊されており、石橋供養塔だけが残存している状態です.そのため、県民の関心はほとんどないのが現状です.私たちは地域に眠る貴重な石橋供養塔の意義を広めていくことが最大の目的です.

本作品は、全国の中で断トツで現存する埼玉県全域の石橋供養塔を対象とした埼玉県の郷土資料に関する情報発信サイトです.風化によって判読できない文字などは石橋供養塔を3D化し文字の復元を行っています.現在も作業中ですが、一部の市区町村の石橋供養塔はは3Dデータとして、誰でも自由にダウンロードすることができます.

作品の説明資料(youtube)

対象地域:埼玉県全域

埼玉県は全国的にみても、石橋供養塔が多く現存しています.

埼玉県の地図をみると、山間部の秩父地方には全く石橋供養塔は存在していません.現存している中でも、旧入間郡の基数が多く、埼玉県全体284基のうちの約30%を占めています.その中でも所沢市が最も多く現存しています.

2023年は坂戸市に現存する石橋供養塔を調査しましたが、2024年は埼玉県で最も多く現存する所沢市を現地調査しました.また、埼玉県全域の石橋供養塔は自治体が刊行する史料などをもとに位置を特定しました.

埼玉県の石橋供養塔

今回の調査で埼玉県の石橋供養塔の位置を文献などから特定しました.また、塔に刻まれている年代から建立された傾向について紹介します.

位置
・山間部の秩父地方には、石橋供養塔は存在しない
・標高の低い平野や丘陵地に位置することが多い
・所沢市、坂戸市といった旧入間郡に多くの石橋供養塔が位置する

建立年代
・日本全国でみると1660年代から石橋供養塔の建立が始まる
・埼玉県は1695年から石橋供養塔の建立が始まる(富士見市)
・埼玉県では1780~1799年に建立された割合が高い(県内占有率21.3%)

刻まれた文字の判読方法

石橋供養塔の文字の判読の方法について紹介します.

従来の方法
紙と墨を使用して、文字を写し取る方法
・片栗粉などを文字の穴に埋めて、白く浮かび上がらせる方法

 → 一時的にも対象物に接触するため、破損に影響を及ぼしてしまう可能性
   そのため、石橋供養塔を3D化を行い、非接触で判読作業を実施

新しい方法
・iPhoneLiDAR機能を用いて対象物の3D化し、文字を読み取る方法

 → 現場で対象物を3D化ができ確認ができる非常に便利な方法
   しかし、判読に必要な文字の細かい凹凸までの解像度がない

 

  本作品では、上記の方法とは異なる

SfM-MVS解析による石橋供養塔の3D化

を実施  

SfM-MVS解析による石橋供養塔の3D化

データ取得には、デジタルカメラ(NIikon:COOLPIX A)を使用しました.

デジタルカメラはズームを使わず(焦点距離を固定)、あらゆる角度から数百枚の撮影を実施します.その際、光の当て方やカメラの向き、さらに死角を作らないなど、撮影の質を向上させる工夫を行いました.

その後、画像データをもとにSfMソフトウェア(Metashape)を用いて3Dデータを作成し、不明瞭な文字をQGISの機能(陰影図、勾配図など)で判読しました.

現地調査:所沢市

今回の調査では、事前に所沢市刊行の郷土資料などから石橋供養塔の数および位置を調査しました.事前調査では24基でしたが、現地調査およびGoogleストリートビューから郷土資料などに記載されていない石橋供養塔も多く見つかりました。今後の調査でさらに石橋供養塔の数が増えることが期待できます.

石橋供養塔マップ

埼玉県全域の石橋供養塔の分布を地理院地図(運営:国土地理院)をベースに公開しています.マップでは、背景地図を明治初期に作成された迅速測図原図や大正・昭和に整備された地形図および1960年代の空中写真といった過去の地理空間情報を用いて閲覧することも可能です.

また、取得した石橋供養塔のマップ上で自由に閲覧できます。さらに、一部市区町村の石橋供養塔の3Dデータは誰でも自由にダウンロードし、利用することができます

チーム名:ダさいたまとは言わせない(日本大学経済学部 田中圭ゼミ)
2年:八鍬誓心・松木愛果、3年:八木澤 藍生・河合萌花